人生初ドッキリが大変なことに!!
この話は、私が小学5年生の頃の話です。
当時、休みの日に担任の先生のアパートに遊びに行くというイベントが流行っていた。
この担任は、若い男の先生。
今では色々考えられない事だが、担任のアパートの場所はなぜか完全にバレていた。
私と友達2人で、「次の休みに内緒でアパート行ってやろうぜ」と今でいうドッキリ?を計画。
周りのクラスメートが担任のアパートに行った報告を受け、俺たちも行ってやるぜ!!とやる気に満ちていた。
担任のアパートに勝手に遊びに行く日、我々3人は家にあったプリンをお土産に持って担任の所へ向かった。
我々3人は担任のアパートに遊びに行くのは初めてで、アパートの場所は知っていたものの、実は肝心の部屋の番号を知らないまま現地についてしまった。
担任の苗字がついた標識を探し回った我々は、1階のとある部屋が担任の部屋だと確信。
駐車場に担任の車があることを確認し、いざ突撃訪問というドッキリを仕掛けにいった。
「ピンポーン」「ピンポーン」「ピンポーン」
「ピンポーン」「ピンポーン」「ピンポーン」
なんどチャイムを鳴らしても担任は出てこない。
車はあるので、部屋にいるはずなのになぜか出てこない。
玄関すぐのキッチンの窓があいていたので、我々は中の様子を勝手にうかがう。
部屋に人がいる気配は無かった。
担任の部屋の感想を好き放題言い合った後、我々はあきらめ、せっかく持ってきたお土産をその窓から台所に置いて帰ることにした。
「どうせ担任は貧乏だから俺の小遣いを恵んでやろう」
と持参したお土産の他に100円を置き、○○参上!!という3人の名前を入れたメッセージを残して帰宅した。
人生ゲームと地獄先生ぬ~べ~の悪い影響か、先生=貧乏という方程式が当時成り立っていた。
しかし、我々の一連の軽率な行動がとんでもない事を引き起こしてしまった。
~~~ 休み明け ~~~
朝の会で、「〇〇達はこの後職員室に来るように」と我々3人を呼び出した。
小5の我々でも何で呼び出されたは明確だった。
「驚いただろうな?感謝されるのかな?」とすごくワクワクした。
しかし、事態は担任の一言で思わぬ方向に行ってしまう。
「お前たち、先生のアパートに遊びに来たのか?」
「こんなもの置いていったのか?」
と○○参上のメッセージを見せてきた。
「お前たちは別の人の部屋にコレを置いたんだ」
「そこの人はかなり怒っている」
「!!」(我々)
「先生の部屋は2階で、先生はその日学校にいたんだ」
「!!!」(我々)
「だって、車があったから・・・」
「○○先生の車に乗せてもらっていたんだ」
「お前たちが勝手に窓を開けて、部屋を見て、貧乏そうとか好き放題言っていたのを聞いていたそうだ」
「マジか・・・」
我々3人はこう思っていただろう。
まさか、小さい2階建てのアパートに同じ苗字の人が2人もいたなんて思いもしなかった。
この話はクラス中で話題になり、我々はクラス中の笑いものとなった。
月曜日の放課後、担任に言われ我々3人だけで謝りに行くことに。
しかし、何度チャイムを鳴らしても先方は出てくれない
今思えば、普通に仕事中だよな・・・
この事は、さすがに親に内緒にするわけにもいかず、この事件の全てを母親に話し、メチャクチャ怒られた。
それは3人ともそうで、親どうしでも会議が開かれていたよ。
次の日、我々は昼休みの中、反省文を書いていた。
クラスの別の友達からも「お前らなにやってんだよ!!」と馬鹿にされたが、「うるせー、消えろ」と逆ギレしながらも反省文を書き終えた。
数日たち、「子供のやったことだから」と我々はついにお許しを得た。
しかし、「先生の子供を守る態度が気にいらない!!」と残念なことに怒りの矛先は別の所に向かってしまったようだ。
そして、もう一つ。事件が収まり冷静に振り返った時、
「○○先生の車に乗せてもらっていたんだ」
という担任のの言葉がどうしても気にかかっていた。
○○先生とは女性の若い先生だ。
どうも、この2人は付き合っているんじゃないか?
という結論になり、特に親同士がこの話で盛り上がっていた記憶がある。
我々3人はこの事件を台所に置いたお土産のプリンから、「プリン事件」と名付け、中学に進学してからも時折この話で盛り上がっていた。